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  1. 彼女、彼氏にビンタされた、したことある人(0)
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(無題)

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月17日(金)10時59分49秒
  あの震災、そして原発災害で失ったものは多いのですがまた一方で得たものも多くあります。当たり前にすごしてきた日常がすべてなくなってしまったこと、普通が普通でなくなってしまったこと・・災害支援の自衛官さんたちの車があたりを行きかうのが普通の姿。上空を飛び交うヘリも疑問を持たないようになってしまう。
これからの人生設計もありました。こだわってこだわって建てた家、妥協せずに探してきた家具類・・あるのに帰れない・・いつ帰ることが可能なのかわからない。そしてこの生活中に家族も減りました。義父は闘病中でしたが、肺炎を併発し見送りました。

えたものは、普通に過ごすことへの感謝、食べ物への感謝、次女は学べることへの感謝、多くの人から贈られた援助に対する感謝・・

これから考えなければならないことはまだまだあります。追求しなければならないことも。
個人のリスク管理の甘さも反省すべき点だと・・
後ろを向いて生きていくわけにはいかないので、前を向いて次の一歩を踏み出さなければならないと思っています。

こちらの掲示板に集っていらっしゃる方の中にも放射能・放射線にとても恐怖を感じていらっしゃる方も多いと思います。一番簡単な、手軽にできる方法は「家に帰ったら顔をあらって、手をあらって、うがいをする。」「雨にぬれたら、着替えをする」これに尽きます。
ごくごく当たり前のことなのですが・・

以前、安曇野合宿のときに「お子さんにどうなって欲しいですか?」という問いがありましたよね。忘れられないのです。三年後、五年後、十年後の娘たちを一人前の大人として社会へ送り出せるように導いてやりたいと思っています
 
 

たろさん

 投稿者:小河 勝メール  投稿日:2011年 6月17日(金)00時44分38秒
  何か、耳にはきしむ音さえ聞こえるような、鼻には生臭い匂いさえ漂うような人間の現実ですね。
風評被害ですか・・・・。相手の頭にこびりついたどうしようもない現実なのですから。
 

(無題)

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月15日(水)15時08分18秒
  合格発表も決まらず不安定になる娘。「自信はあったんでしょ」「でもわからない。」
発表までの日々は苦しい毎日でした。三月末、発表。しかし、屋外掲示は無く電話で確認するのみ。自分の番号を見つけて喜び、誇らしげに写真をとる姿はみられません。貴重な経験のひとつがまた失われました。本人が電話で確認し「合格」と言われた瞬間涙が止まらなくなりました。「よかったね。これからはいいことしかないから」と。。
しかし、娘には心配なことがまだ(苦笑)決まった学校は私服。物流はとまっているので着替えも学用品もなにもない。入学前に勉強しようとしても手元になにもなく、自由にならない日々。不安と心細さがあったでしょう。
宅配便の配送が復活しはじめたとき大きな荷物が届きました。私の友人たちから着替えや日用品、娘の学用品、入学準備品まで。
いままで当たり前のように無駄にしていたノート、ペン・・贈られたものを大切にしまう姿。震災と避難生活で失ったものは多くありますが大きな宝も得ました。
甘えていた次女が「感謝」ということを知ったことです。「私、こんなにしてもらって、どうやって返せば」・・友人たちは口をそろえて「当たり前のことだから。元気に真面目に学生生活を送ってくれて、笑ってくれればそれが一番」と。

原発というものの風評被害は想像を超えたものです。物流がすべてとまってしまうのです。ある地方の水道局は「職員が被爆するからそこには支援できない」、配送会社は「ちかくまでは行きますが・・そこまでとりにきてください。」挙句の果てに「汚染地域には行きませんから。」・・・じゃあ、ここに住んでいる私たちは?汚染されているのか?答えは否です。リスクはあることを承知しています。しかしそれは共通のリスク。

もっと怖かったのは離れて生活している長女が直面した現実。
「被爆者」、「放射能まきちらしてる」・・誹謗中傷。ま、まけないところが長女の強さ(苦笑)かなり言い返したようですが(頼むよ・・法学部なんだから、大人になれ (-人ー))アルバイトの面接にいくと「福島県出身はね・・・」「被爆してるでしょ?この住所じゃ」・・帰省していない、こっちにいたといっても聞く耳もない。
先輩の中には教育実習中に実習先の学校で保護者からつるし上げられて心が参ってしまった人もいるそうです。教育者になることを断念してしまったと。

今の私が「何が怖い」と聞かれたら迷わず「風評被害」と答えられます。自然災害は起こってしまったこと、原発事故は現場で戦ってくれている人がいるから、収束後の個人リスク管理は考えなければならない課題、でも心無い風評だけは一生ついてまわりかねない。これが怖いのです
 

(無題)

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月15日(水)13時04分48秒
  避難所ですごす日は人間観察の時でもありました。ボランティアさんから届いた布団が運び込まれた瞬間に押し寄せる人。
我が家では義父母が体調を崩していたのでどうしても布団は欲しかった。なんとか1枚確保したら「私が先にとったのよ!うちの子が風邪をひいちゃうでしょ」
・・年寄りと病人がいるんですと答えると「だったら病院いけばいいじゃない。全員で」
悲しい思いしか浮かびませんでした。そのまま手を離し、家族の下へもどると娘の友人の**君が一枚敷き布団をもってきてくれていました。
人の温かさ、怖さ・・みな家族を守りたいだけなんですよね。

義父母の体調と娘のストレス、限界に近づいていました。
給水車がくるたびに長い列、菓子パン、冷たいおにぎり、カップめん・・トイレに行くのを減らすために食べたがらない、水も飲まない義母、固いものばかりで飲み込みにくい義父。
連日流れるニュースは悪いものばかり。回りも悲観的な話のみ。
4日目の朝、避難所をでて実家に世話になることを決めました。嫌がる義母をなだめ、損傷のないと思われる道路を選びながら二時間かけて実家へ移動。
ライフラインに損傷がなかったことは幸いでした。
しかし、ストレスは増加。そしてもっと苦しかったのは風評被害による物流停止でした。
おそらく想像以上だとおもいます。
ガソリンをいれるために10時間並ぶ車、それでも20リットルのみの給油とか
スーパーの開店情報がながれると何時間も前から並び、選ぶ余裕も無く・・
生鮮食品はまず手に入らない。実家は農家でしたが畑に野菜はできていても「食べるな」という行政からの広報(実際はなんの問題もなかったのですが、ただ「指示があった」ということだけで広報車が回ったようです)
もちろん店はやっていません。
 

たろさん

 投稿者:小河 勝メール  投稿日:2011年 6月13日(月)22時47分37秒
  テレビや新聞よりもなにか人いきれや音、においまで伝わってくる感じがします。
こういう風になるんだと。ペットの話、若い親、なんとも。
 

(無題)

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月13日(月)15時29分55秒
  近くからどんどん「満員」と埋まっていく避難所。家から離れていく不安。年をとった義父母にはどんなに不安だったかと思います。
ようやく入れた避難所は廃校になった小学校。家をでてからすでに4時間以上。全員疲れきっていました。
受付を済ませ、できるだけ暖かい場所をと探しますが・・すでにかなりの混雑。
ようやくTVとコンセントのある場所に確保。次女に留守番(義父母の確認)を頼み、主人と夕飯を買いに・・というより探しにでました。
車での移動・・あいているスーパーをみつけおにぎりを購入。
いったん避難所へ戻りました。すると「ここはもう満員です。よそにいってください。」
さっきここで受付をしました。家族がここにいますから。と車を止めてもどる。
くる途中のスタンドではすでにガソリン売り切れ状態。
前日に満タンにいれてあったけど不安になる。
義父母と娘の様子を確認したところ、様子がおかしい。
「1号機が爆発してる。」「どうなるの?」
・・・大丈夫、東電さんには日本のトップクラスの頭脳があつまっているから。ちょっとかかるかもしれないけどがんばろう・・こう言うしかありません。
しかし、私より長く発電所にかかわってきた義父「4号機までくる。」結果は義父の言葉が一番正しかったのですが。
その夜から避難所ですごす長い一日が始まりました。
電気は通っていましたが、水がなく、公衆電話もない。唯一あいているドラッグストアまで歩いて40分。しかも坂道。
公衆電話はつながりやすいといいますが、1時間あるいて公衆電話をみつけ行列に並んでもなかなかつながらない状態。結局、深夜携帯のメールで安否確認をするしかありませんでした。その夜は買ってきたおにぎりでなんとか食べることはできました。
TVがついていても繰り返し流れるのは原発事故、津波のニュースのみ。次女は「あさっての合格発表はどうなるんだろう。」と不安げ。
避難所で友人と中学校の先生、小学校の恩師と再会した次女ですが私のそばを離れることはあまりありませんでした。ついこの間までは一緒に寝るのを嫌がっていたぐらい(苦笑)なのにぴったりとくっついて寝る姿。守らなければならないと実感した瞬間でもあります。
TVもあまり見たがらず、時間があると持ってきた本を繰り返し読む娘。「ほかの本ないかな~」と言いますがゲーム機や漫画を持っている友人はいても小説は(苦笑)
活字中毒の私たち親子は避難所で配られる新聞(全員ではないのですよ?)を暗記するぐらい読みました。そしてあちこちに張ってある安否確認の張り紙も。
なにに飢えたか・・情報と活字に飢えていました。

避難所の食事は
毎回、菓子パン、ペットボトル飲料でした。
菓子パンではないときは 会津から送られてきた支援のおにぎり。かなりの距離なので作ってくださった方々には感謝していますが食べるときには冷え切った塊か、傷んで食べれないこともありました。乾パンだったことも。
津波ですべてを流されてしまった宮城、岩手の皆さんに比べると恵まれていたと思います。家族全員無事でいたのですから。
ただ、衛生状態はあまりよくありませんでした。水がないことが致命的です。
トイレの水は外からバケツに汲んで流すのですが、子供や老人はバケツを持てません。トイレの床は水浸し状態。いくら掃除しても追いつきません。
外の消防タンクも使いすぎると空になってしまうので注意が必要です。
深夜に何度も給水車が出入りする音が聞こえました。あとはペットでした。自分たちにはかわいい家族かもしれませんが多くの人が出入りする避難所内でペットを放している飼い主。中には、「迷惑になるから」と避難所内に入らずに外の車にいたままの人もいましたが「うちの子かわいいでしょ」状態の飼い主も多くいました。
自分たちは携帯に夢中になって、小さな子供を勝手に走り回らせている若い両親。
深夜まで廊下で大声をだしたり、おいてあったピアノを鳴らしたり・・お年よりの中には「眠れない」と苦しんでいる方が多くいました。

 

たろさん

 投稿者:小河 勝メール  投稿日:2011年 6月 8日(水)23時02分17秒
  なるほど。
こうして3月12日からの時間が始まるのですね。まだこの時点ではこの後どういう状況が繰り広げられるかはわからない。
「まどをしめろ」という怒鳴り声の意味が。
 

(無題)

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月 8日(水)14時25分37秒
  ありがとうございます。**君と娘(長女)は気が合うようでずっと連絡をとりあっていたため彼の今の状況も聞くことができました。近いうちに彼に小河先生の言葉を伝えてあげようと思います。

二日目
避難先に指定されていた中学校へ向かうと、途中の様子がおかしいことに気がつきました。
ただひたすら山に向かう車・車・車・・異様な風景
遠くに広報の声がかすかに聞こえるような気がして、窓をあけて確認しようとしたらパトカーから「窓をしめて!車列にならんで!」といきなり。
何が起こっているのかまったくわからないまま車の列にまきこまれました。
家に戻ろうにもすでに戻れない状態。

これはなにがおこっているのか
とんでもない状態になっているのではないか
一抹の不安があたまをよぎりました。

まさか・・と思う反面、悪い予想が当たった場合の娘たちのこれからの人生に伴うリスク、そして風評被害。口には出せませんでしたが、重くのしかかりました。
「すぐ帰れると思うから。いま家にいても水も電気もないからね。」義父母に明るく話すことだけが私にできる精一杯でした。
途中、稼動している自販機やあいている店を見るたびに「お茶」「水」「食品」を購入。
「どうしてそんなに買う?」と不思議そうにたずねる義母。
「避難所でなにもなかったら困るからね」
・・買っておいてよかったと感じたのはその夜でした。
 

たろさん

 投稿者:小河 勝メール  投稿日:2011年 6月 8日(水)00時08分8秒
  二度にわたる書き込み、ありがとう。
深呼吸して読み直さざるを得ませんでした。背筋がピシッとなるようです。子供たちへの、いや私たち大人にも深い力を与える青年の姿ですね。彼にあったらそういっておいてください。今こそ、君は勉強をしろと。君の何気ない生活の姿がどれほど大きな力を人々に与えているかを君は知らないのだと。そして君はきっと大きな仕事のできる人になるよと。
 

生きる力

 投稿者:たろ  投稿日:2011年 6月 6日(月)16時31分6秒
  ここに書いていいのかどうか

長女の同級生の男の子がいます。(もう20歳だから 子 ではないですね)
小学生のとき母親が失踪、その後父親もしばらく所在不明(その後死亡確認)。祖父母と叔母さんと一緒に生活していました。本当はやさしい子なのに回りからはいろいろといわれるような子でした。
中学に入っても成績は芳しくなく「おれ、将来どうすればいんだろう」と悩む姿もありました。「**、ばあちゃんに恩返しするんだろ?真面目に生きていくのが一番。おばちゃんと世話になった先生に顔をみせられないような行動だけは絶対にしないことが大事だから」
そんな話をした覚えがあります。
部活動で評価され、成績もあがり、地元の高校へと進学しました。
高校でも部活動と勉強に励んでいたようで大学への推薦も決まりましたがその直後に育ててくれたおばあちゃんが亡くなり進学を断念。
地元企業に就職しました。
震災当日、東電福島第一原発にて作業をしていました。
現場で津波に巻き込まれたけど助かり、なんとか自宅に帰った震災当日。着替えてそのまま
最初の避難所である中学校へ。携帯もなく、何もない状態。親戚とも連絡がとれなかったようです。
翌日、次の避難場所への移動。ここで私たち一家と再会。
避難所生活二日目、**は自分から施設内のトイレ清掃や子供たちの世話、お年寄りの補助をしていました。彼を今までバカにしたような言動をとっていた同級生がゲーム機にや携帯に夢中になっている姿を横目にみながら、彼はトイレ清掃やお年寄りの生活補助を黙々と。
私はそんな姿に涙がでてきました。夜も部屋の中ではなく廊下で寝ているので「中で寝たら?」と聞くと「おれのいびきでおじいちゃんたち眠れなかったらかわいそうだから」と笑って答える姿。

避難所で数日間を過ごしているときに人の本質が見えたような気がしました。

彼はその後、別な避難所でおじさんと再会し被災地の動物保護ボランティアをしたり
介護の道へ進むための勉強を始めたと連絡がありました。「おじちゃんが学費だしてやるからがんばれっていってくれたから、おれやりますよ」
彼の声は明るく希望に満ちていました。きっといい介護士さんになってくれるでしょう。

なにがあっても前を向く力がなによりも大切。努力を続けることができるように子供を導いてやることが親として一番大事なことではないかと感じたのです。

性急な結果要求ではなく、日々の結果が何年後かにでるからね、だからがんばろうって
・・

支離滅裂で申し訳ありません。
不適切でしたら削除をお願いいたします
 

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