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7件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[7] キリスト教の権威付け

投稿者: 卑劣な言葉 投稿日:2013年 9月 4日(水)14時41分23秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題:キリスト教の権威付け
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、教勢を拡大したいと、
 そして、それと共に必死になって「権威を付けたい」と
した。
 その為の、あらゆる行動を節操無くした。
 そこに、『神を畏れよ』のキリスト教の教義があるが、
 その教義に災いされ、
 『民を死に至らしめる行為』をキリスト教はした。
 民を殺すことによって、民を畏れさせ、そこにキリスト
教の権威が生まれるとキリスト教は考えた。
 まったく、『非人道的』な、『大罪行為』である。
 死を畏れるだけの民を・・。
 その姿に、キリスト教の権威があると、生まれたと、キ
リスト教の聖職者たちは考え、そのキリスト教の教義の行
為をした。
 その為の死を民に強いた。見せしめの死もあった。
 それ故、聖書も権威ある形へ、意味ある形へと、なって
行くとキリスト教は考え、思っていた。
 ある1例、聖書解釈・・・、
 (「マルコによる福音書」6・45~52)に、
 文脈はまったくつながらないのだが、以下の様なあらす
じの事が書いてある。
 『イエスが、弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ行かせる。
その間、イエスは群衆を解散させる。そして、山へ登る。
夕方になると、(弟子たちの)舟は湖の真中にいた。イエ
スは陸にいた。風が吹いて、舟を漕ぐのが難しくなった。
それをイエスが見て、夜が開けると、イエスは水の上を歩
いて、弟子たちの所に来た。そばを通り過ぎようとした。
弟子たちは水の上を歩くイエスを幽霊だと思った。そして、
大声で叫んだ。弟子たちはおびえていた。イエスは弟子た
ちと話をし、『安心しなさい。わたしだ。恐れるな」と言
った。イエスが舟に乗ると風は止み弟子たちは驚いた。パ
ンの事が理解せず、心が鈍っていたからだ」・・・と、マ
ルコは書く、これが記述のポイントである。
 聖書研究者は、これは「民間説話からとられた」と言う。
 そして、「水の上を歩くと奇をてらった話は他の宗教に
もあること」と言う。
 それにしても、脈絡がつながらない話だ。無駄な動きも
多い。
 ここをキリスト教聖職者は、意味あるものなのだと言う。
これが仕事と言えば仕事なのだが・・。
 例えば、弟子たちを舟に乗せる時に、「強いて」という
言葉が書いてあると・・この『強いて』に意味がある・・
と言う。
 弟子たちを「励まし」、「試みさせているのだ」と言う。
 そしてまた、「山へ登った」という事に対して、すぐ思
い出される有名な話。
 「モーゼが山へ登って神に会い。神と契約をした話」を
持ち出す。
 「この時、イエスは山に登って神と契約したのだ」・・
と。
 しかし、こんな大切な話を、ただ、「山へ登った」で、
あとは何も書いてない。変だと思う。
 そして、何時、山から降りたとも書いてないし、山の上
で何があったのかも、書いてない。
 イエスが山へ登ったからには、何か、『重大な』意味合
いがなければならないはずなのだが、何も書いてない。
 そこを、聖職者の口でつながっていく。
 このくらいの事を言いイエスの行動の意味合いを言う。
 モーゼが出て来る。
 そう言われても、聖書の字面だけでは、「登った」しか
書いてない。他の、何の意味合いも記されてない。
 そしてまた、「夕方、舟が、湖の真中に出たのは、夕方
という闇の世界で、湖の真ん中という「混沌(カオス)」
を表している」のだと言う。だから、どうしたがない。
 イエスが、陸にいるというのは揺れる舟の上とは違い、
揺れない陸にイエスは居ると言いたかったのだと言う。
 イエスの権威を上げる事しか意味がない、これを読んだ
信徒の方たちのためになる話の意味合いは何もない。ただ
揺れない陸に居ただけの意味しかない。
 そして、聖書の他の部分にも多くあるが、「風を止ませ
る行為」がここでも出て来る。
 イエスが、風を止ませる事をしたと説明する。そのイエ
スの凄(すご)さを分からない弟子たち、そして、無理解
を繰り返す弟子たちに、マルコは批判を展開した・・と、
聖書研究者は言う。
 だから、イエスは、「夜明けまで待ったのだ」と。
 聖書の記述の意味合いをアッピールする。
 「通り過ぎる」も、神が出現するときは「通り過ぎる」
のだと。旧約聖書にもこの様な事が書いてある・・と。
 神出現の権威づけの行為と考えられる。
 そして、イエスが「わたしだ」と言ったのは、「私は神
なのだ」と言った意味なのだという。
 だから、そこを驚いた弟子をマルコは批判したと。驚い
てはいけないのだ。ああやっぱりと思わないと。
 だから「パンの事。済んだ事まで持ち出して、マルコは
批判したのだ」・・と。
 なんだ、かんだと意味合いを付けをする。
 聖職者が、色々意味合いを付けるが・・、
「マタイによる福音書」では、「弟子のペトロが水の上を
歩いて」、イエスの所へ行っている。
 その様に、マタイは、マルコを書き直している。
 そして、風でペトロが沈みかけると、イエスに助けて貰
っている。
 ここを、キリスト教聖職者は、イエスの方が、ペトロよ
り上だと言っているのだという。
 (注):ペトロは、聖書の別の記述の中で、イエスに叱
られた時、イエスを叱り返す様な弟子で、イエスと同列
意識があるから、ここでは、この様に書かれているのだと
感じる。
 そして、キリスト教聖職者は、イエスの神格化を示して
いると強調する。『わたしだ』とだけ言った言葉で・・。
 この様な記述は、まさしく、ブルトマンが、「古代の『
魅力に欠けた』古い神話的記述」と言った様な方法で権威
づけをしている、これでしか、イエスを神格化できない。
 また、ブルトマンが『古代の泥沼にはまる」と、半分、
軽蔑した様な方法でしかできない、
 「意味のない言い方の権威付け」をする。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/




[6] 聖骸布について・・誰でもわかる事が

投稿者: 氷山の一角 投稿日:2013年 8月23日(金)13時20分57秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用   編集済

 題:聖骸布について・・誰でもわかる事が
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は嘘が多いが、程度の悪い嘘は、『考古学的
発見の嘘』である。
 21世紀に入る少し前、『イエスの巻き物』が発見された
と騒がれた。
 これには、学者も騙された。
 新聞・雑誌も大々的に報じた。
 また、21世紀に入って、間もなく、イエスの弟・『ヤコ
ブの骨壷』が発見されたと騒がれた。
 『イエスの巻き物』は、現代科学の力で、捏造(ねつぞ
う)が証明された。
 「ヤコブの骨壷」も、専門家たちは、やはり偽物とみて
いる。
 キリスト教は、キリスト教も嘘が多いが、その嘘が伝染
したのか、キリスト教の周りも嘘が多い状態。
 キリスト教は、自分に嘘が多いし、その嘘を言い張って
いるから、他を批判できない。
 この様な事で権威が落ちている事を自覚していない。
 特に、「聖骸布」の嘘はまったく改めようとしない。
 イエスが刑での死後、十字架から下ろされたイエスに、
布が被(かぶ)せられた。
 また、布なら、軟らかで、しなって、イエスの顔は、横
幅が広くなり、太っている様に見えるわけだが、
 まったくその様ではなく、
 正面からの正常な写真の様に描かれている。
 その布に、イエスの顔や体が、さも、プリントされた様
に描かれているというものである。
 化学分析の結果、中世のころのもの(布)と判明してい
るが、キリスト教は認めようとはしない。
 また、近年、キリスト教会は、この布を修復したという
(人間が修復したらいけません)、また、複数あるという
ことが何か変な感じがする。
.
 (参考)ねつ‐ぞう【捏造】 [名](スル)《「でつぞう
(捏造)」の慣用読み》事実でないことを事実のようにこ
しらえること。でっちあげること。「記事を―する」
 (参考)wikipediaには、以下の記述がある(抜書き)。
  聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、キリスト教
でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死
んだ後、その遺体を包んだとされる布。イエス・キリスト
の風貌を写したという布には、聖ベロニカのベール、自印
聖像など、複数あったといわれるが、ここではただ一つ現
存するトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノ
の聖骸布」(Shroud of Turin)を解説する。
 通常は一般に向けて常時公開されてはいない。カトリッ
ク教会の大聖年にあたる2000年に一般公開され、その後
2002年に修復作業が施された。2010年には修復後初めて
一般公開された。
 イギリスのサリー州ギルフォードで開業していた医師の
デイヴィッド・ウィリス博士が写真を元にした検討をした。
それによると、聖骸布の像の人物の背中には多数の鞭打た
れた後があり、3本の皮ひもの先に2つの小さな金属球がつ
いた「フラグム」という鞭で打たれたと考えられる。放射
線状についた傷の跡から、二人の執行者によって鞭打たれ、
右にいた人間の方が若干背が高かったとされる。
 聖ヨセフ病院の外科医長ピエール・バルベは実験を行い、
聖骸布で示される位置に釘を打つと手首の骨の隙間を押し
広げてとおり、簡単に貫通した。また神経の損傷により親
指が内側に曲がることを発見し、聖骸布の状態を確認する
と親指が隠されて陰影は写っていなかった。また、イエス
の磔の絵はほとんどの場合手のひらに釘が打たれて描かれ
ており、これらのことは聖骸布の陰影は誰かによって人為
的に描かれたのではなく、(イエス本人であるかは別とし
て)実際に磔刑にされた人物によるものであるという強い
医学的証拠である。
 「律法」によって死者は日没までに埋葬しなければなら
なかったため、ユダヤ人の受刑者は日没少し前までに死亡
しない場合、脚を折って死を早められた。聖骸布の人物の
脚が折られていないことは明瞭である。また、右脇に楕円
状の傷がある。ここから流れる血による陰影には、色の濃
い部分と薄い部分とがあり、血液と透明な液体とが混ざっ
ていたと考えられている(ウィリス博士)。
 これまでの調査では、その信憑性について支持的なもの
から懐疑的なものまで、結果は多岐に渉る。あるときは顔
料で描かれた絵であると推定されたり、後年の創作物であ
ると結論づけられたこともあった。
 1988年の調査では、オックスフォード大学、アリゾナ大
学、スイス連邦工科大学の3機関において、考古学などで
資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定(炭素14法
年代測定)が行われた。その結果、この布自体の織布期は
1260年から1390年の間の中世である、と推定された。
 1973年にスイス警察犯罪科学班のフライ博士によって行
われた聖骸布の花粉調査によって、レバノン杉をはじめ、
49種類の花粉粒が発見された。その中の13種類については
死海周辺にしか群生していない植物のものであった。しか
し、これはあくまでそう言う花粉粒が発見されたというだ
けであり、聖骸布が中東方面から来たとする絶対的な証拠
となるわけではない。
 また、ネガ状の全身像についても、どのような過程でそ
こに付着したのか、もし後年作成されたものであったとし
てもどのような材料や方法でそれを作成したのか、などま
だ不明な点が多い。
 カトリック教会は布の真偽に関係なく、信仰のための重
要な道具であるとの立場である。
.
 (?の追記)この文に記した様に、『布は被せられた』
のではなく、『巻かれた』のだとされている。
 この文に、『被せられた』と記した理由は、巻かれたの
であれば、1例として、耳などが、耳の正面から描かれてい
る様に写っているわけですが、
 聖骸布は、カメラで正面から移したようにプリントされ
ている。
 つまり、正面から見た耳となっている。
.
 (追伸の追伸)
 『神の御業(みわざ)』が、この様な聖骸布をなしたと、
主張するキリスト教が、
 何故、修復しなければならなかったのですか?
 神のなせる御業(わざ)は、完全ではないのですか?
 神の御業が完全であるなら、修復は不要なはず、
 必要ないわけではないのすか?
 それが、修復が必要だったということは、『神は完全な
事はなされなかった』ということなのですか?
 キリスト教が、修復したと発表したのは、「神の御業は
不完全なのだ」と発表したようなものではないですか。
 さらに、『神の御業がなしたものを、人間の手で修復し
た』とは? おかしいのではないですか?
 神が不完全だから人間が修復しましたと言っている様な
ものです。疑問です。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/



[5] 生き延びている宗教の『態』

投稿者: 卑劣な言葉 投稿日:2013年 8月22日(木)16時39分37秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用   編集済

 題:生き延びている宗教の『態』
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスの教えが意味を持つのは、『紀元前20年~紀元
70年の間においてだけ』・・という主張がある。
 この主張は、イエスの思想は『今・現代において意味を
なしていない』という主張であって、
 1例をあげれば、
 イエスは、当時のユダヤ教の「清浄規定」に反対した。
 その時代は、第二神殿の再建と増築によって霊性と聖性
をますます強調する動きが拡大した時代であり、
 その時代において、ユダヤ地方と下部ガリラヤ地方での
ユダヤ教の宗教生活を定義づけるものは、「ミクヴァオー
ト」(ユダヤ教の祭儀に用いられる浴槽)であった。
 さらに、「石の器」が習慣的に造られ、売られ、買われ
たのは、その時代のみであった。
 霊的清さを確かなものとする「ミクヴァオート」と、
 その中身が汚れに染まってしまわないように守る「石の
器」は、エルサレム神殿の祭司たちによって展開された、
極端なユダヤ教の「清浄規定」に基づいて要求されたもの
であった。
 その様な背景において、イエスは反対運動をした。
 イエスは言う。「みなさん、私の言う事を聞いて悟(さ
と)って下さい。外から人の体に入るもので人を汚すこと
が出来るものは何もありません、人の中から出るて来るも
のが、人を汚すのです」・・と。
 これは、民をいじめていた、ただ、山のてっぺんに神殿
を建てて、君臨していた宗教権力。
 それでなくても、武力で征服したローマ政府の権力組織
の圧政を受け、苛(さいな)まれていた民をターゲットに、
ひと儲けしようという行為だった。
 民に、何ら、ためにならない宗教権力を誇示するだけの
「エルサレム神殿宗教権力」に放った「イエスの怒り」だ
った。
 「神殿税」という重圧を民にかけ、
 更に、無益な、当時の宗教教義から来ている「清浄規定」。
 イエスは、揶揄(やゆ)った。
 馬鹿馬鹿しい「清浄規定など止めてしまえ」の気持だっ
た。
 イエス特有の理屈っぽい言葉を放った。
 変な「清浄規定」なんか作って、民を惑(まど)わせ、
民を不安に陥(おとしい)れ、
 「ミクヴァオート(浴槽)」買わすとは・・。
 キラキラとした作られた権威、
 空虚な権威をちらつかせ、
 迷信を信じ込ませ、
 民から金を巻き上げて。
 「そんな浴槽で体を洗ったって、清浄なんかになるもの
か」・・。
 「外から人の体に入るもので、人を汚(けが)すことが
出来るものは何もないのだ」・・。
 浴槽で清浄になんかする必要は無いのだ。
 あなたたちは知らないが、
 「人の中から出てくるものが、人を汚すのだ」。
 イエスは、当時の「神殿の宗教権力」にこの様な言葉で
対抗した。
 イエスの言葉は、民の苦しさを知る心から発した。
 『当時の、社会事情においての言葉』だった。
 今・現代にない、神殿の宗教教義に抗した。
 イエスの思想は、この言葉の例のように、BC20年~AD
70年のあいだ「のみ」に意味を持っている。
 この間の期間にだけ、意味を持っている言葉なのだ。
 経時(時の経過)の劣化が明らかなのだ。
 この言葉を、現代のキリスト教聖職者が、「尾ひれ・は
ヒレ」を付けて話したら、それは、イエスの言葉を借りて、
利用して、自分の宗教観、「この聖職者の独自の宗教の披
露行為となる」。
 自分の話に自分が酔っている。
 救う宗教の体をなしていない。人々を幸せにする態をな
していない。キリスト教ではない。
 この様に、キリスト教聖職者が、勝手に自分の好きなよ
うに、キリスト教を演じているから、キリスト教は、四分
五裂して、分派がいっぱいの状態になっている。
 キルケゴールは言う、「キリスト者とは信仰の飛躍をす
る者」だ・・と。
 キリスト教は、四分五裂し、形を変えて(キリスト教で
ないキリスト教が)生き延びている。
 教義が破綻した宗教が起こす現象の『これは一端』なの
だ。
..
(追伸)前記した、イエスが言った言葉だという、
 「みなさん、私の言う事を聞いて悟(さと)って下さい。
外から人の体に入るもので人を汚すことが出来るものは何
もありません、人の中から出るて来るものが、人を汚すの
です」・・は、
 イエスの衛生観念や衛生に関する知識についても教えて
いて興味深い。
 実は、本当は、衛生のために浴槽に入って身体などを洗
い、清潔さを保つというエルサレム神殿の「清浄規定」は
正しいのである。
 イエスが間違っている。
 イエスは、やはり古代人なのだ。
 イエスは、「細菌の存在を知らない人」なのだ。
 イエスの言葉の「外から人の体に入るもので人を汚すこ
とが出来るものは何もなく・・」という言葉は、『大間違
い」。
 外から入るものこそ、清浄にし、衛生的にしていなくて
はならないのだ。
 イエスの考えている事とまったく逆なのだ。
 病気の原因の細菌を知らないイエスなのである。
 イエスの「外から入るもので、人を汚すものは、何もな
い」は無邪気な無知識だ。
 イエスは、人々に「間違った『宣教』をしている」。
 イエスは、人々に「私の言う事を聞いて悟りなさい」と
言っているが、真実を聞いたら、恥ずかしくて、イエスは
顔を真っ赤にするだろう。
 「知ったかぶりをシテ、人々に無知な事を言ったと恥じ
る」だろう。
 イエスは、「人の中から出て来るものが、人を汚すのだ」
と言っているが、
 キリスト教聖職者が、ここを美しく「人が発する『言葉』
を含めて話をする場合が考えられるが、これは「エルサレ
ム神殿の『ミクヴァオート(浴槽)』の売り付け行為の
「清浄規定」に関する場合なので、人の発する言葉を含め
た話に仕立てるのは脱線である。
 例え、「人の発する言葉を入れたとしても、確かに、人
が発する言葉は「人を汚す場合」もあれば、「宣教の言葉
の様に『ロゴス』となって人々を導きもする」。
 イエスの「人から出るものが汚す」は、細菌など目に見
えない「真に汚すもの」を知らない人間の言葉で、
 このイエスの言葉は、「目に見え得る『糞尿』について
言った言葉だ」。
 ここには、イエスの古代的知識しかない。
 『イエスの限界』はやむを得ないが、現代人には何ら
示唆など、当然、与えないという結果となっている。

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[4] 人類救済のために・・・

投稿者: 卑劣なイエスの言葉 投稿日:2013年 8月22日(木)01時20分57秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

題 : 人類救済のために・・・
 ...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
 人類の救済のために、皆様の幸せのために、あえて言わ
せていただきます。
.
 キリスト教には、戦争原因になる教義「(キリスト教の)
神の義があれば、人を誅しても良い」があるが、
 そしてまた、キリスト教の教義「異教徒は殺せ」の教義
の様に「異教徒や異民族に対する『殺戮を認める教義』が、
キリスト教には多くある」が、
 これからの人類の幸せの為に、これ等の教義は正して行
かなければならない。
 次の1つの事例、
 ユダヤ民族に対しても、あまりにも根拠のないこと(キ
リスト教の勝手な教義)を言いがかりにし、
 長年月、ユダヤ人の方々を虐げて来た。
 一時期、ユダヤ人は激減し、絶滅の危機もあった。
 この様な、悲惨な事態がキリスト教によって起こされた。
 イエス・キリストが(ヨハネによる福音書 8章)で言う、
『汝らはおのが父、悪魔より出でて・・』と。
 このイエスの言葉で、ユダヤ人は悪魔から出たと濡れ衣
を着せられ、
 ユダヤ人は悲惨な運命を辿る民族とさせられた。
 卑劣なキリスト教である。
 卑劣な言葉である。
 卑劣な教義である。
.
 キリスト教の神父や牧師は、それを人々に説き、教え、
 刷り込んで来た。
 卑劣な行為・告げ口である。
 言われたキリスト教の信仰者のキリスト教徒は、「ユダ
ヤ人を仇敵と見なし、ユダヤ人への仇敵視の意識を刷り込
まれた」。
 キリスト教聖職者によって憎悪を掻き立てられた。
 迫害を行なう素地を産んだ。
 ユダヤ人たちは貧窮のどん底にも落ちた。
 それは、家畜用残飯でも喜んで食べるという生活状態だ
った。
 ユダヤ教への転宗が、キリスト教によって禁止され、新
たにユダヤ教に入ると『死刑』とされた。
 キリスト教徒を奴隷に使う事も厳禁となった。
 キリスト教徒とユダヤ教徒との同居も厳禁。
 犯せば死刑だとした。
 (ナチスはキリスト教を悪の見本とし、同じ事をした)。
 ユダヤ教徒の会堂(シナゴーグ)の新築も厳禁。
 ユダヤ教の布教活動も厳禁。
 違反者は死刑。
 キリスト教は、人々に、ユダヤ教を「セクタ・ネフアリ
ア(邪悪なる宗教)」と呼ばせた。
 ユダヤ人迫害は、歴代のローマ教皇からなされた、そして、
 その一方で、ユダヤ商人から金銭を取った。
 ユダヤ人に職業選択の自由を与えず、
 キリスト教が忌み嫌う「金貸し」をさせ、
 ユダヤ人商人が「あくどい」と、キリスト教が、良くや
るプロパガンダ(嘘宣伝)をした。
 民衆は怨み、そして嫉妬した。
 イエスもエルサレム神殿の前にある金貸しの店に乱暴を
働いている。
 「『悪魔の子』ユダヤ人は、悪魔の助けで金儲けをして
いる」・・と、プロパガンダした。
 法律でユダヤ人を、一区画に住まわせ、閉じ込めた(ゲ
ットー)。
 悪い噂も流した。
 「ユダヤ人は、過ぎ越しの祭りのために、キリスト教徒
を殺して祭壇に捧げている」。
 この様な、あくどい事を考えたのは、キリスト教聖職者
たちであった。
 「ユダヤ人は、キリスト教徒の子供を殺し、その血をパ
ンに塗って食べている」。
 「ユダヤ人は、毎年、何処かに集まって、次の犠牲者を
誰にするか、くじを引いて決めている」。
 人々は、これ等の噂を信じた。
 キリスト教で尊敬されている大司祭の聖職者・聖アゴバ
ールは、「ユダヤ教は迷信だ」と叫んだ。
 そして、「ユダヤ人商人の悪がしこさに、我慢ができな
い」などと叫んだ。
 人々は、キリスト教会の煽動で、狂暴化し、煽られた。
 領主も利害を意識し、ユダヤ人を虐殺した。
 この様な事が、事あるごとに引き起こされた。
 ユダヤ人殺戮も、段々組織的に行なわれるようになった。
 やはり、キリスト教聖職者の煽動で始まった十字軍の、
第1次十字軍の時は、ライン川地方などのユダヤ人の方々が
殺戮された。
 また、第2次十字軍の時は、北フランスなどのユダヤ人の
方々が殺戮された。
 第3回の十字軍の時は、イギリスのヨークの町などのユダ
ヤ人の方々などが殺戮された。
 ・・あちこちで、無数のユダヤ人の方々が殺戮された。
 キリスト教徒の子供の血を吸ったとされ、殺戮された。
 人々の面前で焚刑にされた。
 第4回のキリスト教宗教会議では、「ユダヤ人は改悛する
事を知らない徒だ」と議決され、断じられた。
 だから、「ユダヤ人はキリストの肉である聖パンを、拷
問し、苦しめている」と断じられ、決め付けられた。
 だから、「ユダヤ人は、『不信仰の印のダヴィデの星』
を外出する時は身に付けよ」と断じられ、強いられた。
 ユダヤ人追放も、組織的、徹底的に行なわれ、ユダヤ人
は、身の回りの、僅かな荷物だけを持ち、泣く子の手を引
き、逃れた。
 東欧へ多くが向かった。
 キリスト教徒は、聖パン刺傷を口実に、ユダヤ人を裁判
にかけた。
 黒死病が流行して、人心が乱れた時、200以上のユダヤ
人の町や村が「悪魔の子」とされ、壊滅状態にされた。
 ユダヤ人に対し、無法状態だった。
 「殺そうが、生かそうが勝手」という状態だった。
 ナチスも、この真似をする。
 ナチスの行為の原因はキリスト教が作った。
 キリスト教が『愛の宗教』なんてとんでもない事。
 12世紀には、推定で150万人のユダヤの人々が居たが、
何と、その『 8割 』をキリスト教徒は殺した。
 生き残ったユダヤの人々は、僅か30万人という人数へ激
減した。
 8割のユダヤ人の方々が居なくなってしまったのである。
 ユダヤ民族は絶滅の危機に遭遇した。
 ユダヤ民族は、貧民街区に押し込められ、苦しい悲惨な
生活を強いられた。
 その後、幸いユダヤ人の方々の人口は復活したが、キリ
スト教の教義には、この様な卑劣な教義が潜(ひそ)み、
その教義の遺伝子は、今・現在も、引き継がれている。
 正さなくてはいけない、直さなくてはならない。
 これからの人類の幸せのために。
 それにしてもあまりにも悲惨なイエスの呪いの言葉であ
る。
.
(参考)あくどい 1 〔性質が悪い〕vicious; wicked あく
どい商法crooked dealing あくどいやり方、
(参考)ゲットー【(イタリア)ghetto】 1 中世から近代
にかけて、ヨーロッパの諸都市に設けられた、ユダヤ人の
強制居住区域。
(参考)かい‐しゅん【改悛】 [名](スル)犯した悪事や
過ちを悔い改め、心を入れ替えること。改心。改悟。悔悛。
(参考)こくし‐びょう【黒死病】 《死体が、皮下出血で
黒いあざだらけになるところから》ペストのこと。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/



[3] 人類の負の遺産

投稿者: さとうきび畑 投稿日:2013年 8月20日(火)02時57分14秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題:人類の負の遺産、キリスト教によること・・。無駄にすまい。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教には『(キリスト教の)神の義があれば、人
を誅しても良い』の教義や、『異教徒は殺せ』の教義があ
る。
 自分を中心に考える宗教です。
 悲しいかな!これが悲惨な戦争の原因となっています。
 キリスト教はこの教義を改めなくてはならなりません。
 また、キリスト教は、ユダヤの方々を執拗に殺して来ま
した。
 キリスト教の聖職者たちは、ユダヤの方たちへの憎悪を
書き立てました。
 そして、迫害を与えることに凝り固まって来ました。
 改めなくてはならなりません。
 キリスト教聖職者は、「ユダヤ民族は、キリスト殺し民
族だ」と、ユダヤの方々への憎悪を掻き立てました。
 この意識が不幸の発端でした。
 そしてまた、新たな罪を、聖職者は発生させていました。
 キリスト教聖職者は、ヨーロッパ中に「ユダヤ人撲滅」
を説いて回わりました。
 ユダヤ人の追放も説いてまわりました。
 その為、異端審問所が作られました。
 特にスペインは過激でした。
 びっくりするくらいの大勢のユダヤの方々を、キリスト
教の異端審問所経由で、焚刑の刑場へ送り、生きながら焼
きました。
 ユダヤ人の方々は、隣国のポルトガルへ逃がれました。
 隣国のキリスト教国であるポルトガルも「ユダヤ人追放
令」を出しました。
 ユダヤ人は、アメリカの新大陸へも逃れました。
 すると、卑劣にも、スペインは、キリスト教徒と同行し
たキリスト教聖職者たちが、インディオの多くの方々を殺
しに殺し、全滅にしました。そして、人の居なくなった地
に、ユダヤ人追放のための異端審問所を作りました。
 作られた異端審問所は、血しぶきを揚げて回転を始めた。
 それでも、ぞくぞくと入り込むユダヤ人をさばききれず、
審問官は、イタリアの法王庁に援助を求めた。
 執拗に、ユダヤ人を追うキリスト教の異端審問の流血の
歴史は、メキシコや、フィリッピンと広範で、執拗で、陰
湿であった。
 キリスト教の性格そのままであった。
 人種偏見宗教=キリスト教。陰湿宗教=キリスト教であ
る。
 ユダヤ人憎悪、そして、蔑視の宗教=キリスト教。
 キリスト教のこの卑劣行為は、次の聖書の記述に一端が
ある。
 「イエス言いたまう。『もし(汝ら)アブラハムの子な
らば、アブラハムの業をなさん。しかるに汝らはいま、神
より聴くきたる真理を汝らに告ぐる者なるわれを殺さんと
はかる。・・汝らはおのが父、悪魔より出でておのが父の
慾を行なわんことを望む。彼ははじめより人殺しなり』」
(ヨハネによる福音書、8章)。
 卑劣極まりないことを、よく言うことよ。
 このイエス・キリストの怨念の言葉が、ユダヤ人を悲惨
な目にあわす元凶となっている。
 キリスト教聖職者は、「汝らはおのが父、悪魔より出で
て・・・」を説き続けて来た。
 今も、説いている。卑劣な宗教めと感じる。
 この様な宗教では人類は救えません。あなた方も幸せに
はなれません。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/



[2] 自分の都合を優先することを許す宗教

投稿者: 博多まで行く肥後 投稿日:2013年 8月15日(木)14時12分59秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 題:自分の都合を優先することを許す宗教
 ...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教が守るべき律法。その中で、食べて良い動物
は、「蹄(ひづめ)が割れていて、反芻(はんすう)する
動物」のみ。
 故に、蹄が割れていない馬は、食べてはならない。
 また、豚は、蹄が割れているが、反芻しないので食べて
はならない。
 故に、魔女事件で、魔女にされた女性を陰湿に虐(いじ)
めるキリスト教聖職者は言う・・、
 「ブタを食べただろう」・・と。
 可哀想なその魔女にされた女性は、「食べてません」「
食べてません、豚は食べると気持ち悪くなるから、食べら
れないのです」と一生懸命に言うが、イジメ抜かれた女性
は、命を落としめられる。
 この様に、キリスト教には食べてはならない食物がある。
 この事例の様に、動物の豚もその様な食べてはならない
動物。
 また、海や川にいるものの中では、食べて良いものは、
ヒレと鱗(うろこ)のあるものだけ。
 イカやタコや海老もそうだ。食べてはいけないのだ。
 また、貝やウナギも、当然、食べてはいけない食物とな
っている。
 また、食べて良いことになっている牛肉は、しっかり血
抜きをしなければならない。
 (肉汁たっぷりのステーキは駄目)。
 キリスト教の一派:「エホバの証人の」は、輸血も駄目
としている。
 幼い子が、この医学の発達した現代、立派な病院で「輸
血」を拒否され、尊い幼い子の命を落とし、救えなかった。
 また、「肉を乳で煮てはならない」という戒もある。
 別々に煮ても、同時に食べてはいけない。
 皿に盛る時も、同じ皿に盛ってはならない。
 キッチンの流しも別にするとよい。
 (こんな時代錯誤な教え、信徒はほとんどが馬鹿にして
守らないと、適当にやっている。『自分の御都合』を優先
しているのだ。元々、キリスト教は低劣な教義に満ちてい
る。勝手に皆で破って平然としている宗教なのだ。一面で
は「神だ」「神だ」と言い、別の面では『自分の御都合を
優先する』。それを組織的にキリスト教は目をづぶってや
っている。組織自体が御都合主義にどっぷり漬(つか)っ
た宗教なのだ。くだらないの一言。こんな宗教を信じて、
皆様が幸せになれるはずがない)。
 着るものも、「男は女の着るものを着てはならない」と
なっている。そしてまた、反対に「女は男の着るものを着
てはならない」となっている。だから、女が「ネクタイ」
をする事が出来ない。
 また、2階にバルコニーを設ける時には、「手摺をちゃ
んと設けるようにしなさい」というのもある。これは当た
り前。言われなくても。落ちてしまうではないか。
 マニュアル宗教のレベルなのである。
 そして、『ユダヤ教徒の意識で死んだイエス』を供犠(
くぎ)として利用したパウロのキリスト教の宗教企画(現
在のキリスト教)をキリスト教の宗教教義とした。
 そして、今では、多くのキリスト教聖職者でさえ信じて
いない「復活」を、「イエスの復活はあった」とパウロは
宗教企画に決めた。
 しかし、パウロは、肝心な「イエスの行動や言葉」はい
りませんと、必要ありませんと、捨ててしまった。そのこ
とを文にしてまでして残した。パウロの都合、お好み。
 そして、キリスト教は、ユダヤ教正典を「旧なる神との
契約の書」の地位に貶(おとし)めた。
 「神の子」を勝手に作ったキリスト教は、良かれと思っ
てやったのだろうが、神を『神の地位』からも貶(おとし)
めた。
 神に、「時間に捉われる」という行為をさせている。こ
の様な「大失態」をもしている。
 また、名も呼んではならないという神概念を崩す行為を
している。
 神を、「ある空間」の中に置くという行為もキリスト教
はしている。
 これでは、まったく、「人間と同じではないか」。
 この事例の様に、キリスト教は、神に良かれとやったが、
「神への大冒瀆(ぼうとく)」をしている。
.
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[1] 掲示板が完成しましたキラキラ

投稿者: teacup.運営 投稿日:2013年 8月15日(木)14時11分9秒 h101-111-029-158.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

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